ヨーロッパ旅行紀 Isle of Man 〜 WDM

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6/12 眠っている間に国境を越え、イタリア突入。 7時にドアをノックされ起床。
  車掌さんに他の部屋に案内され朝食。
  下車駅の Bologna(ボローニャ)までは、まだまだある。 窓から見える田舎
  の景色は日本のものとそれほど変らない。

  夕べ動かされた荷物を下ろしてみる。 「ン??、鍵が開いている!!」それ
  も2箇所とも!! 中を確認したけど、無くなったものはなさそう。 数字を
  合わせるタイプの鍵なので、時間さえあれば開けることはできる。 やったの
  はあのイタリア人だろうが証拠が無い。 何か取るつもりだったのか、「用心
  しろよ」という忠告か、単なる暇潰しだったのかは分からない。

  不信感だらけのまま Bologna に到着。 車掌さんに挨拶して下車。 イタリア
  の地に踏み入れる。
  これからサーキット最寄りの駅 Misano までの切符と、あさって14日のボロー
  ニャ→ローマの切符を入手しなければならない。
  Biglietteria(ビリエッテリア:切符売り場)へ行くと、14 日の分は、予約
  カウンターへ行けと言われ、そっちで入手。 そして今日の分の切符は、通常の
  Biglietteria では買えず、たらい回しに合うが何とか入手。 目的の Misano
  駅はどうやら各駅停車の列車しか止まらず、それも2時間に1本程度。 そこで
  手前の Rimini 駅までまず急行で行く事にする。

  1時間ちょっとで Rimini 着。ここは Adriatico(アドリア海:「紅の豚」の
  舞台だよん)をのぞむリゾート地で、また San Marino(サンマリノ共和国)へ
  の入り口。 ここから Misano 行きの列車の時刻を調べると、1時間半待ち。
  少し街を散策してみようと思ったけど、どこにも地図が無い。 まあ東へ行けば
  海、南西へ行けば San Marino というのは分かるけど、どれくらいの距離かも
  分からない。 サンマリノ行きのバスがあるけど、所要時間が分からないし、
  行ったらたぶん列車には間に合わないので断念。

  Centro(チェントロ:中心地)へ向かって歩いていたら、白塗の壁の一ヶ所から
  オバサン達が出入りしている。 何かなと覗くと、そこはでっかい屋内市場
  だった。 野菜、果物、花、乾物、肉の専門店が軒を連ね、その周辺を魚屋が
  囲むように並んでいる。
  合わせて100店以上あり、風格のあるオバサン達で賑わっている。 ここでリンゴ
  に目を付け「1500リラ(120円)か、日本と同じだな」と思って「これください」
  と言ったら、店のオバチャンが「あんた、これ傷んでるよ」とキズを見せて、
  ツヤのいいリンゴを見つけてくれた。 そして1500リラ払ったのに値札を指差し
  てオツリをくれた。 1個ではなく、1kg あたり 1500リラということで、この
  リンゴは 350リラ(28円)だった。

  街中をさまよい、駅に戻るとあやしい列車が止まっている。 まだ出発時刻
  ではないので、時刻表(イタリアではこれが重要で、駅ごとに壁新聞のように
  貼られていて、乗客は列車の発車時刻とプラットフォームを自分で調べる)を
  見ると、確かにそれらしい記述があり、発車時刻寸前。
  あせって地下道をくぐってホームに着くと列車の扉には Chiuso(閉鎖)の
  貼紙。 オバアチャンが必死に貼紙の無い車両を探している。 リンゴを噛り
  ながら後を追って乗り込む。 でも我々以外に乗客がいない。 オバアチャン
  は車窓から駅員に「あんた、これはミサノに行くのかい?」と怒鳴っている。
  構内放送をよく聞くと、別のプラットフォームから出発する列車があるらしい。
  とっさに列車を飛び降り、そっちに向かう。 オバアチャンも後を追って走る。
  運良く駅員に遭遇したので尋ねたら、どうやら最初に乗り込んだ列車で OK で、
  出発は30分後ということだ。 時刻表にあった列車は今日は運休。 これから
  出発する列車は発車時刻が変ったものということ。 ややこしい。

  頼みの時刻表はまったく使えなかった。 下手にプラットフォームにいると
  情報が入って来ないので、待合室でボーっとすることにする。 ここなら電光
  掲示板(出発の最新情報が表示される)があるので安心。 でも数台分しか
  表示されないから、数時間先の出発時刻を知ることはできない。 なんて不便
  なんだと思っていたら、突然の土砂降り。 モペッドのオネーサンがカッ飛ん
  で行く。 5分ほどでやみ、雨上がりの強烈な日差しが痛い。

  発車 10 分前、電光掲示板で列車を再確認して、乗り込む。 乗車できる車両
  は2両だけだが、例のオバアチャンは見当たらない。
  スッタモンダして乗り込んだ列車は 15 分ほどで、アッケなく Misano に到着。
  降りたのは3人。 無人駅で、駅前にはタクシーが1台止まっているだけ。

  ここまで来たけど、実はサーキットがどこにあるのか知らない。
  駅前でヨーロッパ初の地図を発見!! そこにサーキットらしいものが載って
  いて、歩いて行けそうな距離なので、歩いていたら Tourist Information を
  発見。 念のため入ってみたら、サーキットはまったく違う方向で、歩いて
  行ける距離でもなかった。 タクシーを呼んでもらい、来るまでの間、日本の
  話や、そこの2人(イレーヌとフランチェスカ)の名前を日本語で書いたり
  する。 タクシーの運チャンはいかにもイタリア人といった感じで、陽気。
  イタリア語しか喋れないけど、いろいろ話してくれる。 そして 10 分で
  サーキットに到着。

  後から分かったことだけど、Misano 駅も、両隣の急行が止まる駅も大して
  サーキットからの距離に差は無かった。 主催者から教えてもらっていたのは、
  単に直線距離では一番近いという不便な駅で、たとえば一つ手前の Riccione
  (リッチョーネ)駅で降りれば、2時間は早くサーキットに到着できたことに
  なる。

  サーキット入口で、いきなり日本人3人組に会う。 四国が本拠地の DUCATI
  Owners Club の人達だ。 入場の手続きをして入場すると、駐車場は DUCATI
  だらけで真っ赤。 休憩所となっている大テントに入ると、日本人がチラホラ。
  ツアーで来た人達で、知り合いも数人いる。 こういうところで知人に会うと
  妙に嬉しくなり、話し込んでしまう。 これからみんなで DUCATI Museo(ドゥ
  カティ博物館)へ行くという。 うらやましい。
  パーツ屋、エアブラシの実演、サーキット・ラン、カスタム・バイクの展示、
  コンサート、グッズの販売 etc を楽しんで、夕方、あのタクシーの運チャンを
  呼んで、ホテルへ連れて行ってもらう。
  ホテルは Misano の一つ南側の駅 Cattolica(カットーリカ)の海沿いの4つ
  星ホテルで、部屋には小さなベランダ付き。

  海沿いの高級保養地で、メインストリートにはみやげ物屋や Ristorante(レス
  トラン)、Gelateria(ジェラッテリア:アイスクリーム屋)が立ち並ぶ。
  散策し、1軒の Trattoria(軽食も扱うレストラン)に入る。 客席にはテレビ
  が置いてあって、ワールドカップのフランス対南アフリカが放映されている。
  20 人ほどの客が見入って、歓声を上げているが、ハーフタイムになると、若者
  グループはカードを配りだしゲームに興じている。 なかなかさまになって
  いる。 ビール(銘柄は忘れた)とピッツァを注文。
  ここのピッツァがなかなか旨かった。 大皿からはみ出るほど大きいけど、
  やたら薄いクリスピータイプの生地。 フォークとナイフで切って食べるけど、
  皿からはみ出しているので、切って手づかみで食べ、またピッツァをズラして
  切って・・・を繰り返す。 トッピングの塩辛い魚(ハーニングっていうの
  かな?)がワンポイントで、いいんだなこれが。 帰国したら絶対専門店で
  食べてやるぞと誓う。

  みやげ物屋で現地の地図を発見。 即購入したけど唖然となる。 地図には線路
  は描かれているけど、信じられないことに駅が記入されて無い。 市街地が赤く
  描かれているけど、たいてい駅は街外れにあるから場所の推測もできない。
  つまり駅に行くにも地図が役に立たない。  地図で見つけた場所へ行こうと
  しても、最寄りの駅どころか、どういう駅があるのかも分からない。 「バカ
  じゃねーの」と独り言を言いながらも、あらためて車社会だということを思い
  知らされる。 濃い1日だった。

6/13 イタリアでは支払いは現金しか受け付けなかったり、カードでも VISA しか
  使えなかったり(持っているのは Master)だったので、現金がほとんど残って
  いない。 換金屋が開くのを待って円とポンドをリラ(イタリアの通貨)に
  換金。 これで朝食にありつける。

  今日も昨日の運チャンのタクシーでサーキットに向かう。
  今、ウチのドカのエンジンをかけるためのパーツを探しているけど、出店して
  いるパーツ業者にパーツリストを見せても、どこも「無い」という答えしか
  返って来ない。 終いには「よっぽど日本の方があるだろう」と言われる始末。

  イタリアだからだろう、四輪の Minardi チームが F1 マシンを持ち込んで、
  ドカと一緒にサーキットを走り回っている。
  パドックで脇を1台のマシンが通り過ぎて行った。 「あれは!!」、すぐに
  後を追いかけた。 あの Mike Hailwood がマン島で  並み居る日本車を打ち
  負かして優勝した伝説のマシンそのもの(正確にはその T カー)だった。
  それにしても暑い。 イギリスでの寒さがウソみたいだ。

  ホテルに戻り、明日のために駅まで歩いてみる。 田舎道を一人テクテク....
  20分ほどで Cattolica 駅に到着。 あてにはならないけど、例の時刻表でボロ
  ーニャ方面への列車の時刻をチェック。 カフェにたむろしてるオジサン達が
  珍しそうにコッチを見ている。 でも話しかけると長引きそうなので、無視して
  しまった。 ごめんね。

  街に戻り、また街中を歩き回ってみる。 楽器屋を発見して入ってみたけど、
  コルグ製品は無かった。 夜だというのに、噴水の回りは子供連れや、老夫婦
  でいっぱい。 ホテルの庭先やリストランテの店先には DUCATI が何十台も
  止まっている。 街中には数千人はいるけど、この2日間で日本人どころか、
  東洋人には一人も会っていない。 またほとんどイタリア語しか通じない。

  昨日はピッツァだったので、今夜はスパゲッティにする(安直だ)。 また
  ワールドカップで沸き上がっているトラットリアで Insalata(サラダ)とシー
  フードスパゲッティを注文。 Insalata だけでも腹一杯になったためか、
  続いて出てきたスパゲッティはあまり旨くなかった。 昨日のピッツァが懐か
  しい。 今夜は海岸で花火をやっているけど、ビールで酔っ払っているうちに
  終了。

6/14 天気は上々。 ホテルの屋上に上ってみる。 真っ青で吸い込まれそうな空と、
  アドリア海、海岸に整列されたパラソル、かすかな潮の香り。 朝っぱらなのに
  昼寝がしたくなる。 でも今日はボローニャ経由でローマへ行かなければなら
  ない。

  昨日調べた田舎道を歩いて駅に到着。 今回はちゃんと列車が来て乗車、そして
  1時間半でボローニャ着。 タクシーで Parco Nord(パルコノルド:北公園)
  へ行く。 Misano から 100km+αの距離の DUCATI ばかりのパレードの終点で、
  公園の入り口に陣取って待っていると、ほどなく、ズズズズドドドド・・・・と
  いう爆音とともにパレードがやって来た。 パレードは絶え間無く続き、そして
  1000 台以上が到着した。

  パレード終了時、日本語で話しかけられる。 「日本人は珍しいからね」その
  人は DUCATI カスタム車で有名な某氏。 そのまま一緒に屋外のイベント会場
  で昼食。 「ローマまでの列車なんか簡単に乗れるから」とそそのかされて、
  予定の列車はパス。 しばらく会場に居座ってから分かれ、ボローニャ駅に
  どうやって戻るか思案していたら、また日本語が聞こえてきた。 話しかけて
  みたら、今度はレースで有名な某親子で、私と同様にマン島からこのミーティ
  ングにやってきたという。  事情を説明したら、「レンタカーがあるから、
  送りますよ。」 ラッキー!! 運転手は筑波サーキットのヒーロー Y.S氏。
  駅まで送ってもらい、予定の1本後の列車に乗る。 指定席券が無いので、
  出入口のところで揺られて行くことになる。 同様に指定席券を持っていない
  青年と一緒に昇降階段に座り込んで3時間、ローマに到着。

  宿に着いたときはもうヘトヘト、足はガクガクで、ベッドに倒れ込んで唸って
  しまう。 でもこれが最後とばかりに、無理矢理起きてローマ探検に出る。
  とにかくヴァチカンに行ってみたかったので、地下鉄乗り場へ行く。 ところが
  切符の買い方というか料金体系が分からない。 分からないときは窓口で行き
  先を告げて買うものだけど、まだまだラッシュアワーだというのに窓口は閉まっ
  ている。 イタリアだなぁ。 自動販売機で買うしかない。 とにかく最低料金
  分だけ買って改札に入り、中にいる駅員に Ottaviano(オッタヴィアーノ:ヴァ
  チカン最寄りの駅)へ行けるか尋ねたらOKということだった。

  下車駅からは Vatican という看板に従って歩くこと 10 分でヴァチカン到着。
  歩いて国境を越えたのは初めてだけど、国境はどこにあったんだろう?
  ヴァチカン宮殿の門を覗くと、カッコイイ門番のオニーサンが立っている。
  San Pietro(サンピエトロ)寺院は改修工事中で、遠目には無数の足場で霞んで
  見える。 San Pietro 広場でのんびりしているうちに日が暮れる。 ヴァチカン
  1周をたくらんで、外周を回ってみるが、300m くらい行ったところでかき氷の
  露店を発見。 たくましいオニーサンがカンナで氷をガシガシ削って、それに
  「森の木ノ実のシロップ」とココヤシの実をトッピングしてもらう。
  氷を削るのがパフォーマンスになっていて、子供達が見入っている。 ザクザク
  という歯ごたえと甘酸っぱさで、なんか緊張がほぐれてしまい、ヴァチカン
  1周は断念。

  その代わり、Castel Sant'Angelo(サンタンジェロ城)からテレベ川を渡って、
  昼間なら華やかなんだろうけど、今はひっそりと静まりかえっているコンドッ
  ティ通り(有名なブティックが立ち並んでいる)を通って Piazza di Spagna
  (スペイン広場)へ。
  夜だというのに例の階段には若者が大勢たむろしている。 騒いでいる訳では
  なく、仲間どうしで集っている。 ただそこに花束があるところがいかにも
  イタリア。 次は Fontana di Trevi(トレヴィの泉)を目指したけど、道を
  間違えてトンネルをくぐって通り過ぎてしまう。 引き返す気力も体力も残って
  いなかったので、黙々と宿に向かう。

  遅い夕食をとるため、小さなリストランテに入る。 ディナーセットにはピッツァ
  が付いていて、一昨日食べたのと同じで旨かった。
  「イタリア行ったらピッツァだね」と再認識して、宿に戻った。 ローマの街は
  小さいけど、それでも地下鉄で数駅の距離を横断したのは無茶だったか。
  気力だけで明日の準備をしたところまでは覚えている。

6/15 早朝、モーニングコールで目覚めると、夕べ市内をさまよっていたときの格好
  のままだった。 朝日がまぶしい。
  Stazione Termini(テルミニ駅)までいつもの 20kg を担いで行く。 ところ
  でイタリアでは、近距離の切符は駅構内の売店でも売られている。 つまり
  週間誌やチョコレートと並んでいたり、軒にブラ下げられている。

  空港行きの専用列車に乗り込み、30 分でフィウミチーノ空港着。 順調に出国、
  そして離陸。 「Arrivederci Italia」
  アムステルダムでトランジット。 往路では空港内を探検しまくったけど、
  帰りはほとんど椅子に沈み込んでグッタリしていた。
  待合室でワールドカップ帰りのサーポーター達と一緒になり、結果を聞いたら
  「アルゼンチンが勝ちました」という。 言い合わせたように、「日本の負け」
  とは誰も言わなかったのが印象的。 そして日本に向けて、最後のフライト。

6/16 朝、成田に到着。 動く歩道に乗っていると、その先にテレビ局の取材陣が
  構えている。 サポーター達に試合の感想とかを聞くのかと思ったら、「試合は
  会場内でご覧になれましたか?」とか「チケットはどうなさいましたか?」
  とか、訳の分からない質問をしている。 サポーター達は無言でやり過ごす。
  何なんだ?と思っていたら、まったく関係無くその先の検疫で引っかかって
  しまう。
  アムステルダムで買ったハムが、日本国内に持ち込めないということ。
  持ち込み可のスタンプが付いているのを確認して買ったのに、そのスタンプは
  日本では無効だと言われた。 そんなこと世界中で統一できないのか?
  まったく紛らわしい。 その場で食べてしまえば良かったと後から後悔する。

 ・・・てなふうに、ヨーロッパ一人旅は終わった。

なお、ノッティンガムから送った荷物は、確かに1か月半後の 7/18 に届いた。
開けてみたら、マン島で買ったバニラ・ファッジ(キャラメルみたいなもの)が
半分融けて、自由を表現していた。 これもイイかな。

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